日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)させてきたが、明治初頭、神道と仏教は再分離され、廃仏毀釈の波の中で多くの仏教や神道の遺産が失われた。神道は国家神道とされて仏教や土着の習俗と引き離され、皇室を中心とする信仰に再編され、政治・教育と結びつけられた。日本の伝統仏教も、この時代に勢力を拡大した新興宗教やキリスト教の脅威に対抗するためこれに協力し、江戸時代に引き続き日本の社会に強い影響力を持ちつづけた。大日本帝国憲法では信仰の自由が規定されたが、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置いた。しかし、第二次世界大戦後に国家神道は国家覇権の手段となったとされ、GHQの指示によって、神道は政治・教育と分離されて他の宗教と同列の信仰としての位置づけがなされた。仏教も「葬式仏教」と揶揄されるほどに宗教としては形骸化する傾向があり、日本人の日常の生活意識から、神道と仏教を中心とした文化的価値観は薄れてきている。
純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来からの神道が礎となってその上に仏教・密教や儒教や道教、あるいはキリスト教[4]をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。これらの宗教混在に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼、伝統芸能、武道、農業、林業、水産業、建築、土木、正月、七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしており、神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もあり、これを方法論としてみた場合、たとえば「里山」あるいは「鎮守の森」の文化や「もったい(物体)ない」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造は神事)」の伝統は食糧危機に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。
コメント
コメント一覧 (1)