知床市問題 においては当初網走市主導の「網走市?(現?)?(現?大空町)?小清水町?斜里町?清里町」の6市町村での合併を目指したのだが、網走市以外は賛成しなかった。それぞれ生活圏の違いなどから法定協議会を立ち上げることはできなかった。 その後、斜里郡下3町での協議をすることになったのだが、清里町が離脱し、任意の協議会も設立できなかった。 同時期に近隣の根室管内中標津町および羅臼町の飛び地合併の協議における「知床市」問題が起きた。中標津?羅臼両町が合併協議における新自治体名として「知床市」を候補としたのである。これは全国からの名称公募の結果による。これに危機感を抱いた斜里町も町名に関する町民アンケートを実施したが、結果は「斜里」という現状の町名維持の意見が「知床」等を含む町名変更をわずかに上回った。それを受け斜里町は名称変更を断念すると同時に両町に自治体名として知床を使わないように申し入れた。 知床が全国有数の観光地で国立公園でもあり、またに代表されるように以前から斜里町の町政はマスコミの注目を浴びてきた為、知床市問題の報道は地元での論調以上に過熱していった。 羅臼、中標津両町はこれを受け名称決定を延期。1か月後、合併協議会は名称を無記名投票で決めることとした。知床ブランドの魅力や中標津空港の改称問題もあり「知床市」の名称にこだわる中標津側と、斜里町への配慮から知床に冠をつけ「栔彩小工趣工毪伽趣工肓_臼側の意見は拮抗していたが、最終的には「栔彩小工藳Q定した。この決定は知床の名称を独占してしまえば、長年知床を共有してきた斜里町との間に、軋轢が生じることを憂慮した羅臼側の意向を、中標津側がくんだものである 斜里町側では当時の斜里町長が「共有財産の知床の名を、一自治体名に軽々しく使うべきではない」と発言し抗議するなど、斜里町側の反発は根深く大きかった。だが羅臼町は法的拘束力のない斜里町の申し入れに対し真摯に対応を検討していた。その結果斜里町内では羅臼町の斜里町への配慮を受け入れるべきという声が聞かれるようになり、中標津側も譲歩している事実を考慮すべしという意見も聞かれるようになってきた。それを受け最終的に午来町長は町議会全員協議会において翻意し、冠のついた「栔彩小工蛉菡Jした。また議会も全会一致でそれを承認した。 最終的には中標津町民の6割が住民投票で合併そのものに反対した結果、合併は破談となり知床市問題は避けられた。 合併断念の原因は地理的に距離のある飛び地合併であることなどであり、知床市問題は合併断念の直接の原因ではない。 また斜里町民の側からも斜里郡三町を念頭に置いての合併断念と知床市問題はそれぞれ異なる問題として認識されている。 平成の大合併では同じく世界遺産である近郊で問題が起き、新自治体名が主因となって合併が断念された。 このような問題は白神市の他、、等でも発生し、新自治体名が問題になって合併そのものが断念された他の例と知床市問題は混同されやすい。 しかし前出のように両町の合併は名称以外の問題が主因となって断念されており、異なる性伽螁栴}である。知床の名称問題も合併断念以前に自治体同士の話し合いなどにより解決していたため、それが発端の感情的対立が尾を引くことにもならなかった。